2011年04月02日

親父の49日の法要を終えて

 昨夜、四国から川崎にもどってきた。親父が2月に亡くなり、3月27日、49日の法要をした。
 墓に親父の骨壺をおさめるべく石の蓋をあけたら、頭蓋骨が一つころがっていた。祖父のだった。
 高一の3学期の期末テストが始まる前日の日曜日の午後、勉強の途中トイレに行きたくなり、祖父の寝ている部屋を通った。掛け蒲団がはだけられていたので、「オジイサン、寒いやない」と蒲団をかけようとした時、祖父が息をひきとっているのがわかった。
 その時、家には祖父とオレ以外誰もいず、祖父のそばでひたすら泣いた。
 土葬だった。吹き流しを先頭に長い葬式行列で墓地にむかった。頭に白い三角頭巾をかぶせられ、ワラジをはいて棺桶の棒を持って歩いた。
 しばらくして「オジイサンと同じ齢まで生きれるとしたら後何秒あるんやろ」と、60年を秒にしてみたら19億秒くらいしかないことに気づいた。「けっこう時間があるようでないんやなあ」と、16才のオレは思った。
 明治生まれの日本人は、今の我々より信仰心が篤かった。祖父はオレと弟を近隣の神社仏閣の祭りにはほとんど連れていってくれ、毎朝仏壇にごはんを、神棚に水をあげさせられた。「オジイサン、何でボクがやらんといかんの」ときいたら、一言「オマエは長男じゃけん」といわれた。

 地震が起こって2週間余。地震を全身全霊でうけとめた地元の被災者の人々は、悲しみと苦しみの中、復活のノロシをあげつつある。真の人間力を感じ、感動する。感じたら動け、そのものだ。それに較べ、人災の発震源である東電や官僚、政府の上層部の右往左往ぶりはどうであろう。
 日本の首相ならば、「火山と地震の日本列島に暮らしてきた我々日本人は必ず立ちなおります。ただ人災である福島原発においては全力をもってこれを沈静化すると共に、日本における原子力発電所の廃絶を目指し、日本の総力をもって代替エネルギーの開発に取り組む決意を表明します」と、世界に向けてメッセージを送るのが当然だと思うのは、オレだけではないだろう。
 人間の傲慢さから生み出された高度消費文明に対する警告だ、ととらえるのが、普通の人間の感受性だとオレは信じる。

 第1回めの3曲を発表してから、3月24日までにこの3曲をアレンジしなおし、かつ3曲新しく作った。6曲をアップロードする。
 みんなの感想や意見、リアクションを待っている。

 近藤等則
 2011年3月30日
posted by KONDO at 00:28| Comment(2) | 日記